カッコいい50歳を迎えるために。お小遣い2万5千円からの脱却。

あと数年で50歳を迎えるワシの小遣いは月2万5千円。どうにかしてもう少し好転させたい。

お金がほしい。

 こんなあからさまなタイトルもないだろうと我ながら呆れるが、これはここ数年にわたる僕の切実な願いである。

 

「カッコいい50歳を迎えるために」

 そのために必要なのは、そう、金である。10代、20代の若者ならいざ知らず、50にもなって金がないではカッコよくなれるはずがない。かくいう自分も、もうすでに齢40代の後半も後半なのだが、金がないためにカッコよくなれない。それは外見がいいとか悪いとかではなく、カッコいい行動が取れない、ということである。

 

 だってそうだろう。お金がないと思うといろいろな場面で制約が多い。

 

 例えば何人かで食事に行くとする。何人かでなく2人でもいいし、1人でもいいのだが、とにかくレストランなり、定食屋なり、中華屋なりに入るとする。席に着き、メニューを開く。自分の場合、真っ先にチェックするのはそこに書かれた料理名ではなく、何はともあれ最初に「値段」である。文字ではない。ひらがなやカタカナ、漢字ではない。数字である。見るのはまず数字。

  ここで、4ケタの数字は問答無用でカット、即座に視界から消す。次に3ケタの数字の中から、9や8で始まるものにもあえて焦点を定めない。見えそうになっても素通りする。そうしているうちに次第に読み取れる数字が現れてくる。それは7から始まる数字である。このあたりになると、僕の脳の中で『検討』のテーブルに乗せることができるようになる。可能性が感じられるようになる。

 

 メニューの探索はまだまだ続く。一緒に店に入った人たちと談笑しているように見せかけて、その実、必死でメニューに目を凝らしている。少しでも安いもので済ませたい。自分にはその使命がある。制約がある。習性がある。

 すると、メニューの最後の方に6から始まる数字が見えてきた。600円台。ついにきた600円台。ありがたい。これだと、僕の1日の昼メシ予算の500円にかなり近づくことができる。どうやらここが底値らしい。

 ただし、この値段帯になると、料理の内容も、先に消し去ったものに比べて若干サビシイものになるのは否めない。店にもよるが、たいてい冷凍のハンバーグランチだったり、若干べとついた唐揚げ定食だったり、若干ひき肉の少ない麻婆豆腐定食だったりする。質量ともに満足、といったものは出てこない。

 

 とりあえずあらかた決まったところでまわりを見わたすと、中には結構高そうな料理を眺めている人もいる。それを見て、僕もとりあえず小難しい顔をして、ステーキランチや、刺身定食、チンジャオロース定食・フカヒレスープ付き、を眺めたりする。でも眺めているだけである。1,000円前後のこれらの料理を頼むことは絶対にない。頼むものはハンバーグか、唐揚げか、麻婆豆腐と初めから500%決まっているのだ。要するに、注文するものは、その店の一番安いメニュー。最も安い料理。判断基準は値段。店に入った時点で、そういう決め方をすることを否応なく義務づけられているのだ。その店の一番安いもの。尺度は値段。安いこと――

 

 いかがだろう。これでカッコいい50歳になれるだろうか。

 

 なれるわけがない。

 

 だから思うのだ。

 矮小な話で恐縮だが、

 昼食で2,000円くらいまでなら、値段を気にせず注文できるようになりたい。

 目を皿にして安いものを探さなくてもいいようになりたい。

 

 そこを目指していきたい。