カッコいい50歳を迎えるために。お小遣い2万5千円からの脱却。

あと数年で50歳を迎えるワシの小遣いは月2万5千円。どうにかしてもう少し好転させたい。

哀愁ドーナツ

 お金のないオトーサンはアワレなものである。

 威厳も何もない。

 子供が小さいうちはまだよかった。いくら小遣いが少ないとはいえ、子供がヨロこぶ程度の買い物――おやつとかジュース――くらいは買ってやることができた。

 が、子供の成長とともに次第に状況が変わってくる。

 

 わが家には18歳のムスメと12歳のムスコがいるのだが、ムスメのほうは高校に入学した1年目からファミレスでアルバイトを始めた。受験でやめるまでのおよそ2年半、かなりの頻度で働いていた。そして大学に入ってこれまたすぐに飲食店でアルバイトを始めた。夜の閉店後の仕事が多いらしく、夜の11時ごろに帰ってくることもある。勤務日数も多い。

 そんなある日のこと。

「今日、銀行に行ったらさー」たまたま家に家族全員がいる時、ムスメが言いだした。「ついに100万円貯まってた」

「ウソ?100万?」と中学生のムスコは驚いていた。

 僕は黙っていた。「ふーん、すごいね」とか「へえ~、頑張ったじゃん」とか、何か声のかけようもあったのだろうが、そうすることができなかった。素直にヨロこんであげることができなかった。それはひとつには、突如出てきた100万という数字に驚いてしまったことと、もうひとつは、一緒にヨロこんであげるには、自分の経済状況が悪すぎることがあった。だって貯金なんかないのだから。引き出しの中に、もしもの時のために、500円玉が2枚と1000円札を1枚忍ばせてあるが、そんなものは本当のもしものときには役に立つはずもなく、世間ではそれは貯金とは呼ばない。

 

 100万貯めたというムスメに対し、心のどこかで、そりゃバイト代丸々貯金出来たらそれくらい貯まるよナという、親とも思えないヒネた目で見ていたのだ。だからヨロこんでやることができなかった。それはそのまま自分の小ささを表しているようであった。

 

 残念ながら、100万持っている子どもの前ではオトーサンは無力である。

 

 以前は、というのは子供がまだ小さかった頃は、会社帰りに100円セールになったドーナツを買っていってあげると、子供たちはとてもヨロこんでくれた。「ボク、これね!」「ワタシはこのイチゴの!」「パパはどうすんの?」と、そのドーナツを囲んで楽し気な会話が飛び交った。500円であれだけの明るさがもたらされたら安いものだった。

 が、今は違う。

 サビシいお小遣いの中、買うかどうしようか、額から汗水たらして迷った挙句、駅でドーナツを買って帰る。家に着いて「はい、ドーナツ買ってきたよ」とテーブルに置いても顔を上げる人は誰もいない。ムスメも、ムスコも、カミサンも、みんな揃ってスマホをいじっている。何の反応もない。ドーナツ買ってきたよ、という僕の言葉は虚しく宙をさまよう。やりきれない気持ちになりながら、ふと晩酌用の冷凍食品があるかなと思って冷凍庫を覗くと、その中にはムスメが買ったとおぼしきハーゲンダッツのアイスクリームが2個鎮座していた。コイツは確か1個で300円くらいするはずだ。僕は3秒ほどそのアイスを見つめてからゆっくりとドアを閉めた。それからテーブルの上の寂しげなドーナツに目をやった。もはや500円のドーナツでわが家に団らんがもたらされることはないのだ。それはとどのつまり、僕が家族をヨロこばしてやることができないという意味でもあるような気がして、そのまま肩を落として着替えに戻った。