カッコいい50歳を迎えるために。お小遣い2万5千円からの脱却。

あと数年で50歳を迎えるワシの小遣いは月2万5千円。どうにかしてもう少し好転させたい。

断ること

 前回書いたことの続きになるが、この『節約病』にかかるといくつかの弊害が起こる。

 

 その一つはつきあいが悪くなること。

 

 サラリーマンである僕にとって、つきあいといえば、仕事が終わった後の飲みのことを指す。今は会社全体が給料が低下傾向にあり、飲みに行くといってもそんな高い店にいくわけではない。1品数百円の格安店か、立ち飲み屋がせいぜいだ。何杯か飲んで2,3千円といったところだろうか。

 

 でもその店にすら行かない。行けるわけがない。

 

 だって、昼食の100円、50円を抑えるために日々シノギを削っているのである。限られた予算の中でいかに満腹になるか、いかにうまいものを食うか、そしていかにバランスよく栄養分を取り入れるか(腸の活動が鈍ってきたアラフィフ男には野菜は欠かせない)。これらの命題を抱えながら、なんとかして500円似内に抑えるよう粉骨砕身しているのである。

 

 それなのに、もし飲みに行けば、

 

 生ビール500円。

 

 1杯、だよ。

 

 たったの1杯で1日分の昼食代を使ってしまう。

 

 しかも1杯で終わるわけがない。酒に強くない僕ですら飲みに行けば3杯くらいは飲む。当然ツマミも頼む。

 

「じゃあ、1人2,800円で」の声とともに自分の5日分を超える昼食代が強権的に徴収されていくのだ。低価格の店でこれである。

 

 これが誰それの送別会なんかになろうものなら大変である。「じゃあ、送別のプレゼント代合わせて5,500円集めまーす」とかなんとか言われて、たった2時間かそこらの会のために目の飛び出るような金額が飛んでいくのだ。思わず卒倒しそうになる。

 

 とはいっても送別会、歓迎会のたぐいはしょうがない。さすがにこれを断るわけにはいかない。同じ職場で同じ仕事をしている人間としてそれはできない。その場を設けることまで否定しようとは思わない。ただ、もう少~し、安い店でやってくれたらなァ~と思うことはある。

 

 要はこれらの半ば公式な飲み会は別として、それ以外の「ちょっと行こうか」的な飲みに参加しなくなる、ということなのだ。だいたいにして、このテの「ちょっと行こうか」的な飲みは誰かしらによって突然提案されることが多い。会社の従業員出入口を出たところとか。

「1杯だけ行きますか」

「お、いいねえ」とすかさず一緒にいた何人かがそれに同調する。3人集まれば行くことになるのは必定。僕は内心、うわ、マジかよ、と思いつつ黙っている。どうすべきか考える。まもなく自分に振り向けられる「どうする?」の答えを考える。

 

 以前は、つまり今よりもう少しお金に余裕があった10年くらい前は(10年かい!)、「じゃあ、行くよ」あるいは「行きます」と答えることができた。あまり気が進まなくても、場の雰囲気を壊さないため、そして人間関係をより良好に保つため、とりあえず行く、という選択をすることができた。

 

 が、今は違う。場の雰囲気を壊さないように振舞っていたら、自分の財政が壊れてしまう。人間関係を良好に保つ代わりに収支が悪化していく。

 もはや「行く」という選択肢は今の自分にはほとんどなかった。

「今日はやめとくよ」「今日はやめときます」

 最初は勇気がいったこの言葉も今では割と平気に口にすることができるようになった。断ると、その時はわずかに空気がゆらめくのを感じることもあったけど、そのことで人間関係に支障をきたすということはなかった。それからはほぼすべてのお誘いを断り続けた。「今日はやめときます」

 内心、「今日は」ではなくて「今日も」だよなァと思っていた。たぶん誘ってくれた人も同じように感じていただろう。それから次第にお誘いも来なくなった。

 

 

 そして気がつくと、家と会社を往復するだけの人生になっていた。

 

 

 

 

 

 

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