カッコいい50歳を迎えるために。お小遣い2万5千円からの脱却。

あと数年で50歳を迎えるワシの小遣いは月2万5千円。どうにかしてもう少し好転させたい。

はじめまして。

 お小遣い2万5千円。

 

 この金額が多いのか少ないのか、まあ、多いということはないにしろ、いろいろ調べてみると、これよりももっと少ない金額で頑張っている人も世の中にはいる。だから僕は自分がものすごくアワレだと言うつもりはない。

 でも先に言ってしまうと僕は40代だ。実はあと数年で50の大台に乗る。

 50歳。

 なんてことだろう。40代とはもう明らかに響きが違う。20代の頃からしたら、50なんて年はもう完全にジイさんの入り口だった。そんな年齢をあと数年で(東京オリンピックよりも早くに)迎えてしまうと思うとオソロシクなる。

 しかももっとオソロシイのは、このままでは「お小遣い2万5千円のままで」50になってしまうということである。それだって現状をキープできたら、の話だ。

 なんてことだろう。こんな状況を、一体誰が想像できただろう。話が行ったり来たりして恐縮だが、自分が20代の頃の50歳のイメージは、

 

「太っている」「無神経」「声がでかい」「ダサい背広」「スケベ」「タバコ臭い」…

 

…「でも金はそこそこある」

 

というものだった。別に当時の上司を思い出してとか、そういうわけではない。一般的なイメージとして、当時はそんなふうに見ていたと思う。

 ところが現実はどうだ。自分の現実はどうだ。

 

「やせている(を通り越してガリガリ)」「神経質」「声が小さい」「ダサイスーツ」「むっつりスケベ(しかしそういった欲望も次第に枯れつつある)」「タバコはキライ」…と、とにかくほとんどのことにおいて正反対、そして何より…

 

「金がない」

 

 これが致命的だった。ここさえ、「でも金はそこそこある」なら、まだなんとかなった。他のところはともかく、それを補って余りあるものがあっただろう。金さえあれば。しかし、この一番大事な部分が大きく欠落していた。「人生、こんなハズじゃ…」の最たる部分はここが占めるといってもいい。

 その昔、忌野清志郎が歌っていた。『金なんかなくったって幸せになれるのさ』と(その反対の歌もあったケド)。僕はこの歌を20代の頃に初めて聞き、そうだよなァ、世の中、金じゃないよなァ、もっと大事なものがあるよなァ、とわが意を得たりのような気持ちになっていたのだ。幸せはお金じゃないと。

 今思えばそれが間違いだった。

 いや、清志郎のことをどうのこうの言うのではない。僕自身の考え方が間違っていた。

 ここ10年ばかり、いろいろな本を読んでみた。それにより得た結論は、お金のことをきちんと考えている人にお金はやってくる、ということだった。なくてもいい、という人のところへはお金はやってこないのだ。

 じゃあ、なぜ、お金が欲しそうなアンタのところへ、今、お金がやってこないのだと思う人もいるだろう。

 それはたぶん、お金がない生活が習慣になってしまっているから――だろうと思う。こびりついてしまっているのだ。フジツボのようにびっしりと。お金のない生活が。

 

 

 それをなんとかしてひっぺがしたい。はぎとりたい。

 

 

 このブログは、『お金持ちになれる100の方法』とか『デカイ小銭入れを使えば小銭がザクザク』とか、そんな内容のものではない。僕自身、そのテの本はたくさん読んだ。何か本に救いがあるような気がして気になったタイトルの本は手当たり次第に読んだ。

 でも…残念ながら今の僕はそれらを読む前となんら変わっていない。少なくともお金に関しては変化はゼロだ。財布の中身、銀行の残高。何も変わっていない。

 まわりの人と、「年をとると日がたつのが早いね~」とかなんとか言いながら、気がついたら、本当に何も進歩がないままこんな年齢になってしまったのだ。

 ふと我に返ってガクゼンとする。

 

 

 これは、そんな、いい年して月に2万5千円で、日々の昼食代から何から何まで、涙ぐましい努力をしてやりくりをしているオッサンのひとりごとである。

 と同時に、今そういう状況にあっても、なんとか50歳までにもう少し経済力を好転させたい、せめて東京オリンピック開催の時には、競技を見に行った後にどこか洒落たレストランなんかで食事をできるくらいの経済力を持ちたいと願っているオヤジのひとりごとである。

 読む人には何の足しにもならないかもしれないが、それでも、世の中の同じような境遇の人に笑い飛ばしてもらい、そして、その人たちと一緒に少しでも前に進めるようになれればいいナ、と勝手に書き散らすものである。

 

 

 

 

 

 

 

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